「農」に対する思いと食い違い

農業界には常に、決して終わらない永遠の争いの構図が有るらしい。

慣行VS有機と呼ばれるものだ。

この争いの根源は、そもそも農業に対する考え方が相反しているからなのだと思う。

自分の経験上では、真逆の存在同士が相容れる事など基本的に不可能だ。

「慣行農業というのは世間では俗に言う普通の農業。元々は慣行農業は存在せず、ここ数十年の間で作られた概念であり、数十年前は農業は有機農業しか存在しなかった。慣行農業の発展で貧しかった農業の所得や生産性が向上したが、これは農業に工業的な概念を取り入れたもので、農業本来の在り方に疑問を残す結果と成っている。その代償で工業と同じ問題を引き起こしているのは紛れも無い事実だ。自然と共に在る農業が工業に変わっているのである」…そう授業で習った。

同時に農業の敷居も上げているのでは無いのだろうか?

「慣行農業は農業の基本」、「有機農業は慣行農業が出来てから」等と言われたが、本当にそうだろうか?

「元々は農業には有機農業しか存在しなかった。慣行農業は近年の文明が生み出した農法で有る。」

そう考えるとどちらが高度なのかは馬鹿でも解ると思うのだが。。。

慣行農業は化学肥料・農薬・機械に依存しているので、これらの扱いに長けていなければ成らない。

当然、通常の農業技術も必要だが、こちらの方はメインではないかもしれない。

「車の運転が出来れば誰でも出来る」と言われる最近の稲作を見ればそれが容易に解る。

あんな物はもう農業じゃ無くて農業のふりをした工業だと思う。

慣行農業は化学肥料・農薬・機械に依存しているので、これらを扱う道具が使える事が前提で、その為には資格が要る。

学校の見学会で職員に最初に言われた事、「農業やるのに資格は何も必要無い」に、完全に矛盾している・・・

それをするのに資格を要する技術が基本に成っていて良い筈が無い。

自身は有機派だと思われる節が多いが、それは間違いである。

そもそもが敷居の高い慣行農業が出来なくて、有機農業以外の選択肢が初めから無かったと言うだけの事なのである。

有機農業をしている人(特に女の人に多い)には、「農薬の使い方が解らないから」、「機械が使えないから」と言う者も多い。

つまり、有機農業をしている人は慣行農業が出来ない落ちこぼれと言われても仕方が無い。

紛れも無い事実なのだから・・・

勿論、良い農業をする為には、より高度な技術を要する。

此処で共に学んでいる連中も、大半が何も知らない未経験者だが、一年経てば皆一人前に成る。

そう成れば立場が完全に逆転してしまう事だろう。

皆きっと慣行農業をするだろうから・・・

今でこそスキルでは自分が頭一つ抜きん出ている(二年目である畑の隣人も感心する程)が、その内皆自分には出来無い事を身に付けてしまうから・・・・・

優越感に浸っていられるのも今の内だ・・・

今日の実習でも、農薬を撒き散らす為の機械を使うが、今迄他の連中が順番に使っていて遂に自分に順番が廻って来そうだったが、当然拒否した。

念の為と使ってた奴にどんな物か聞いてみたが、案の定、自分には重量的に無理な物である事が解った。

自分の体重の半分程の重さの物体を担いで動き回るなんぞ、自分には不可能だ。

そんな事をすれば間違い無く体を壊す。

只でさえ生れ付き膝が悪く弱い体なのに・・・

前に草刈り機の授業が有ったが、無論それも非力な自分には重過ぎて使えない・・・

過去に使った事は有ったのだが、それを見ていて危なっかしいからと止められたからだ。

ただ草刈り機は最近の物は比較的軽いらしいので、授業で使う物が古くて重い物しか無いだけらしい。

充電式のタイプなら更に軽いので、この位の重さなら何とか使えそうだ。

ヤンマーの耕運機も、大きくて重いからも有るが、アレルギー体質の自分は排ガスに耐えられない・・・・・

障害者…と言うにはハンデは軽いが、それでも身体能力は健常者には及ばないのだ・・・

そんな弱い自分に出来るのは、自然の営みを基本にした自然農が一番向いていると思っている。

人工物に依存しない自然農法の最大の長所は手間と費用が掛からない事なので、それも自然農法を選んだ理由だ。

自然の営みを基本にした自然農法は「手抜き農法」等と批判される事が多いが、実際やってみて解ったが、そんなに単純じゃ無いし奥も深いのだ。